ザッハーク
Zahhaku

 
容姿・特徴 両肩から蛇を生やした男
出典 ペルシア・イラン・イラク神話 王書
解説 ペルシアの英雄叙事詩「王書(シャー・ナーメ)」に伝わる、もとは砂漠の王、マルダース王の王子。「龍のような恐るべき王」とあだ名される。元々は悪人ではなく、少し軽率ではあったものの、勇敢で大胆な青年だった。しかし、心に隙があったがために邪神アフリマン(アンリ・マンユ)につけ入れられ、そそのかされて父王を殺して王位を継ぐ。再びそこに現れるのがアフリマンである。邪神は料理人に化けて宮廷に忍びこむと、料理でザッハークにつけこみ、その褒美をとらせようという彼の肩に口付けした。邪神の呪いにより、その両肩よりは蛇の頭が生えてしまう。もとよりアフリマンは王国に不幸をもたらし、滅ぼすことが目的だった。更に医者に化けたアフリマンは、毎日二人分の人間の脳を蛇に食わせれば、その呪いは消えるであろうとザッハークへと伝えた。蛇は切り取ってもまたすぐに生えてきたがため、悩んだザッハークはついにこれを信じ、それ以来一日に二人を殺す暴君となってしまったのだ。この蛇が生えた時期には諸説があり、王となったときであるとも、更に下に述されるジャムジードの王国を奪った時とも言われる。「王は半狂人の如 くなり、その両肩より、黒き蛇、瘤の如く、生え出でぬ。王は大いに驚き、種々治療を施せども、 蛇の鎌首は日に増し大きく成長し行くのみ。王は遂に根元より蛇の首を切断せしに、その根は深 く肉の中に在る事とて、木の枝同様、蛇はその痕より又生え出でて王を悩ませり」と言うだけあり、王のこの蛇にかかわる苦悩は相当のものだった。
さて、王になったザッハークは、勢いをえてイランへと侵攻する。
その頃のイランを治めていたのは、ジャムジードという王であった。彼は七百年ほども治めていたが、その晩年に己を神と思うほど増長してしまい、神の心も民の心も離れていた。そのため、力強い王であるザッハークが現れたとき、臣下のものたちは皆ザッハークにつき、ザッハークは最早力を失ったジャムジード王をのこぎりで切り裂いた。
その後、ザッハークは千年の間、ジャムジードの王国を治世する。ジャムジードの美しい姉妹をとらえ無理矢理に妻とし、夜ごとに二人の人間を殺すザッハークの王国には欲望がはびこった。しかし、ザッハークはある夜、己を打ち破るであろう英雄ファリードゥーンの出現を夢に見る。
ファリードゥーンの父親は、ザッハークに殺されていた。子供の身を案じた母親は、まだ赤子であったファリードゥーンを、輝く牝牛ビルマーヤに託し、ファリードゥーンはビルマーヤの庇護によりたくましく育つ。十六歳になると彼は、父親のかたきを打つためにイランへと向かう。道中、天使に祝福されるなど神の加護を受けるなどした彼を待っていたのは、からっぽの宮殿だった。ちょうどザッハークは外出していたのである。
一日に二人を生贄にせねばならない暗黒の王国の中で、17人の息子を奪われた鍛冶屋のガーウェという男がいた。彼は18人目の息子が生贄にされんとするとき、宮殿に乗り込んでその子供を奪い返すと、汚い犬の皮の前掛けを旗印にザッハークに反旗を翻し、民衆を集め立ち上がる。その彼が、ちょうど仇をうつためにやってきたファリードゥーンと出会い団結し、慌てて戻ってきたザッハークは、神と民衆の力をえたファリードゥーンに倒されるのである。ザッハークは獅子の皮で縛り上げられ、デマーヴァンド山に監禁された。殺されなかったのは、ファリードゥーンの剣によってもザッハークは死なず、その傷口から絶え間無く毒虫やサソリ、毒トカゲなどが這い出したためである。(また、殺されたとする神話もある。)団結のシンボルとなった前掛けの旗印は、その後ササン朝の国旗となった。
蛇に脳を食わせるというのは、正に一日に確実に二人の人間の命を奪うためにアフリマンが仕掛けた、国を滅ぼすための計画であった。ザッハークは、決してもとは悪人ではなかったのだが、それに付け入られたが故に不幸な人生を送った人物である。
歴史的には、ザッハークは、古代イランを侵略した他国民族、あるいは嵐などの自然災害の人格化ではないかと言われている。ササン朝自体は、642年にアラブとの戦いに破れ、651年に最後の皇帝であるヤズディギルド3世が殺害され、名実ともに滅んだ。
参考文献 通俗世界 全史・大ペルシア王国 幻想動物博物館

文責 : ARES
イラスト : 七片 藍